キリストの唱えた愛とは何なのだろう

 随分と前、『もし仮に明日世界が滅びるのならば何をやっているのが1番価値が無いか』という話を友人としました。
 世界が滅びると言う事は死を意味するわけで。死の前日に盗みや殺し、愛欲に走る者もいるが、それも今を満喫するので意味が無いとは言い切れない。
 真面目に仕事したり普通の生活をするのは万が一世界が滅びなかった時、意味を成します。
 つまり、明日世界が滅びる状況下で1番価値が無い事と言うのは、明日世界が滅びなくても価値が無い行動 と言う事何だろう。
 しかし、日常において価値の無い行動と言うのは意外と少ない物で。あるとしたらおそらく刹那的に快楽を求める行動が価値の無い行動に該当するのではないでしょうか。
 けど、明日世界が滅びる状況では刹那的な快楽がある程度の価値を持ちますので、刹那的でない意味の無い行為こそが、明日世界が滅びる状況で最も価値が無い行動と言えるでしょう。
 そこで導き出された結論が『トイレに行かずうんこを我慢し続ける事』でした。
 周囲の人々が明日世界が滅びる事に恐怖し、叫喚する中でただ一人、鬼のような形相でじっと己の中のうんこと戦い続ける行いは、明日世界が滅びる中で最も価値が無い行いと言えるでしょう。
 漏らしてはダメなのです。漏らしたら『街中で脱糞するというカタルシスを得る』と言う刹那の快楽に繋がってしまい、価値のある行動になってしまうからです。真に価値の無い行為をするために、ただひたすらに我慢し続ける必要があります。漏らしたらうんこはうんこでなくなってしまうのです。
 出さず・漏らさず・唯ひたすらにトイレに向かわずに耐える。そして、それが成功した暁に世界が救われるとか、そんな事を一瞬でも考えずに・無心に戦う。そう、価値の無い行いをするためには、ただならぬ精神力が必要なのです。
 無価値の人間とは、我々の想像にすら及ばぬ壮絶な日々を生きているのかも知れません。そう考えると、全ての人を愛して生きたいですね。