愛で殺して

 そういえばこの間、兄弟子(♀だから姉弟子?)に遭遇し、変ったねと言われた。始めての変ったねの言葉の意味は、日々を尊重するようになった だった。
 大学生なんかやってたころ、時間をつぶすことが大変だったが漠然と『一年たてば懐かしいと思うんだろうな』と思っていて、それが実際そのとおりになったから、無意識にそうなってるのかもしれない。
 ストレスのたまるバイトやって、満足に食事の出来ない実家に住み、マビノギやらアルテイルやって、気の会う……かどうかは怪しいが、仲間とチャットやって馬鹿な話して、小説作って、ライターの仕事やって、菅処見て。実りのあまり無い、どうしようもない毎日だけど、これもまた、数年後には懐かしいと思ってるはずだ。
 なんでかってぇと、一年前。萌え連のチャットに毎日行っていて、自らのタイミングで祭りを始めたり、Dionアク禁の巻き添えになった日とかも、今はえらく懐かしいから。
 回顧主義な事を言うつもりは無いけど、無言のコテハンルールの環境下で、誰もが自由に出入りできる場所でのチャットは、妙な親近感が誰にでもあった。今はそのころの人々は、コテハン必須で、入り口がわずかしかない避難所。もしくは、無言のコテハンルールの消え去った、名無しの萌え連の二つに分かれてしまった。
 不意に、あの頃のチャットの会話内容が頭に浮かんだ。
 
人が増えればそれだけ荒れるし、今の雰囲気を保ち続ける事はできない
 
 あのディープでコアな2chも、いまやライトな世界へと変貌してしまった。かつてのアンダーグラウンド秋葉原が、開放電子都市へと変貌したように。
 変貌はほんの数日で。何の前触れも無く訪れる。『悔いる思い出の日々』にしたくは無いから、一日一日を踏みしめて行きたい。
 かといって、今が良ければそれでいいと言うわけでもない。そのバランスが生きる事の難しさなのかねぇ。